W3C (World Wide Web Consortium)
ここでは Webに関連する技術の仕様書を、管理・勧告し統括している W3C について、その歴史と働きを端折って述べます。めまぐるしく移り変わる Webの世界で、W3Cはどのようにして生まれ、何を統括しているのでしょうか。
最初に Webの標準を作ったのは CERN
(欧州原子力研究機関:セルンと発音する) でした。ジュネーブ近郊のスイスとフランスの国境線上にある CERN
は素粒子物理学を専門とするヨーロッパの国際的なセンターで、巨大な環状の素粒子加速施設を持っています。
同センターは1970年代に設立され、常に世界最高のコンピューター・システムをいくつか保有してきました。CERN
では、基本的な PCや Macintosh
から、さまざまな UNIX
マシン、独自のシステムで動くワークステーション、Cray
のスーパー・コンピューターに及ぶまで、多くの異なるコンピューター・システムを使用しているため、コンピューター間の情報のやり取りが難題でした。
いろいろな国から来て、言葉も違うことの多い科学者たちには、少なくとも物理学という共通の言語がありましたが、彼らの使っていたコンピューター・システムでは何年もの間、容易な共通のコミュニケーション手段がありませんでした。
CERN
は早くからさまざまなタイプのコンピューター・システムを必要に応じて使用しており、CERN
からヨーロッパの各地に新しい技術が紹介されることもよくありました。CERN
は初めてイーサネットによるネットワークを導入し、後には TCP/IP
プロトコルを基盤とするネットワークをはじめて導入した機関のひとつです。CERN
のコンピューター・スペシャリストたちは、必然的にコンピューターのネットワーク化の最新技術革新の先駆者となったのです。
(Tim Berners-Lee)
CERN
のコンピューター部門で働いていた人々の中に、数年間に渡ってハイパーテキストの基本コンセプトのいくつかを試していたティム・バーナース=リー(Tim Berners-Lee
) 氏がいました。1980年、コンサルティングの仕事をしていた頃に、彼は Enquire-Within-Upon-Everything
と呼ばれるプログラムを書きました。
これはネットワーク上のどのノードの間にもリンクを張ることができるというものでした。これはCERN
にはよく見られた創造的プログラミングでした。
電子メールとUsenet
ニュースの構造と仕組みに関する先駆的研究が、後に、CERN
のデートリッヒ・ヴィーガント(Dietrich Wiegandt
) 氏の手によって行われました。CERN
では、分散コンピューターの開発への機運が高まり、その結果、バーナース・リー氏は World Wide Web
を創り出すための知識とツールを得ることができたのです。
1989年にバーナース・リー氏が携わっていた研究のひとつが、インターネットに接続されてばかりの CERN
のグローバル・コンピューター・ネットワーク全体に研究に関する情報を配布することを目的とした新しいプロジェクトでした。仕様ではひとつのインターフェイスで、報告書や研究資料といった多くの異なるタイプのデータを、画面上に表示できることが要求されたのです。バーナース・リー氏はこのテーマについて2つの論文を発表しました。
その基本的なコンセプトは、提供される情報が、認可されたユーザーなら世界中の誰でも、どんなタイプのコンピューターでも利用でき、簡単なユーザーインターフェイスで操作できるようになっていなければならないというものでした。もうひとつの重要なコンセプトは、この環境でハイパーテキストを用いること、つまり文書内だけではなく、離れたコンピューター・システム上にある他の文書にもリンクを張ることができるということでした。
バーナース・リー氏の提案は CERN
から承認され、このシステムには World Wide Web
という名前が選ばれました。バーナース・リー氏は CERN
にあった NeXT
コンピューター上で、簡単なブラウザとエディタで構成されたサンプルプログラムを開発しました。Webに HTML(Hyper Text Markup Language)
と呼ばれる SGML
の修正版を用いることなどを含めた基準が CERN
で規定され、初期型の HTTP(Hyper Text Transfer Protocol)
が開発されました。
1991年には WWW
と呼ばれる簡単なコマンドライン方式のブラウザがインターネット全体に公表されました。これが Webの誕生です。
なお、ティム・バーナース・リー氏は初代の W3C会長に就任しました。
CERN
が Webを開発したところなので、自然と人々は Web、とくに HTML
の構造や便用についての指導を CERN
に求めていました。しかし CERN
にとってのテーマは素粒子物理学であり、Webではありませんでした。
1994年7月、CERN
は MIT
(マサチューセッッ工科大学)と共同で World Wide Web Consordum
(W3C
として知られています)を設立しました。その後、年内に開かれた会合で、最終的に新しい HTML
の標準ができました。
同じころ、CERN
の評議会が新しい粒子加速器の建設を承認しました。このため財政状況が逼迫し、CERN
は World Wide Web
の公的な役割から撤退し、その任務をINRlA(Institut National pour Recherche en Infomatique et Automatique)
に譲りました。INRlA
は主に欧州会議(European Commission)
の資金で運営されていました。
このころには、Web誕生の時代に作られた HTML1.0
仕様にかわって HTML2.0
が登場しました。lNRlA
と MlT
は1995年3月までに HTML+
の仕様を検討し、公式の HTML3.0
の仕様を打ち出しました。HTML3.0
には数多くのおもしろいアイデアが組み込まれており、基本的な表機能を提供している他、バナー (Internet Explorer
のマーキーに似たもの) や数学記号、図などが導入され、横線、フォーム、イメージといったタグなどの既存の要素も強化されています。
このころには Netscape
がすでに HTML
に独自のバージョンの表機能を組み込んでおり、他にも点滅テキスト、背景イメージファイル、フレームといったさまざまな「Netscape
主義」を HTML
に持ち込んでいました。 Microsoft lnternet Explorer(MSIE)
も、標準の HTML
仕様にはないスクロールマーキー、サウンド、フォントといったタグを組み込んで、HTML
に独自の修正を加えていました。またNetscape
社の JavaScript
の発表により、Webぺ一ジでの Java
プログラムの動きを制御するためのタグも導入されました。
こうしたソフトウェアメーカは、ほとんど公式な HTML
の標準を顧みることなく勝手にこうしたことを行いました。一方、W3Cは新しい標準の開発と規定が遅すぎるとの批判を受けていました。公式の HTML3.0
仕様が現れたころには、概して時代遅れであると見なされたのです。そのような理由から、当時の W3Cが開いたパーティには誰も来なかったという逸話もあります。
(HTML3.0
は、勧告案にとどまり、日の目を見ることがありませんでした。現在は破棄されています。)
HTML
に標準規格が存在しないということは Web自体にとっても、高まりつつある商用 Webについての関心にとっても不利であると判断した Netscape
や Microsoft
も W3Cの会員となりました。同時に W3C側も、Webの成長への要求に、より柔軟にすばやく対応すべきであると認識するようになりました。1996年5月、W3Cは新たに HTML3.2
規格を発表しました。これは Webの現状をよりよく反映したものになりました。
Netscape
創始者であるマーク・アンドリーセンは次のように述べています。
「我々が行ったことはすべて文書化し、公開した。我々が HTML
について行ったことは、今や大半が HTML3.2
に採用され、Microsoft
や Oracle
その他すべてに取り上げられた。技術草新は公開された標準に基づく市場で起こるものである。事実、インターネットの標準化は従来、誰かが提案をし、他の人々がそれを良いか悪いか判断する、という形で行われてきた。これは非常にダーウィン主義的なものである。我々はこのことに貢献している」
「中立の会合の場としての W3Cの役割は強調すべきものである。W3Cは、競合する諸企業が一堂に会して、次のステッブに躍進するための共通の基盤を決定する場なのである」 (World Wide Web
の創始者であり、W3C初代会長であるティム・バーナース=リー氏のコメント)
この新しい標準は、表や Java
アプレットといった、Netscape
や Microsoft、Sun
が導入したタグの多くを公式に採用し、既存の HTML2.0
の規格との互換性も維持しています。
インターネットや Webはまだ進化の途上にあります。また、W3Cは Webと HTML
の標準化組織としての地位を回復したようです。しかしながら一時期、HTML
の進化の全体的な傾向は、SGML
の持っていた厳格な論理構造的アプローチから乖離し、ページレイアウトを強く意識したモデルヘと向かう方向にありました。
その後 W3Cは参加各組織と共同して、マルチメディア・オブジェクト、スクリプト、スタイルシート、レイアウト、フォーム、数学記号、そして何よりもアクセシビリティという新しい考え方を組み込んだ HTML4.0
が勧告され、論理構造を強く意識したマークアップの原点に回帰する方向へ動き出しました。
インターネットで Webがとくに注目されるようになってから数年の間に、多くのことが起こりました。しかもそのスピードには、いまだおとろえる気配がありません。HTML
の他にも、Perl、PHP、Java、ActiveX、Shockwave、Flash
、そして Webブラウザ用のさまざまなサードパーティの「プラグイン」アプリケーションがソフトウェア業界を大きく動かしています。
多くのソフトウェアメーカが方向転換して、Web市場にターゲットをしぼったプログラムや製品を作っています。商用サイトの台頭とセキュリティ機能により、Webの相当部分が市場化され、世界中の企業が同じ土俵に立っています。中小企業は今や世界を舞台に巨大企業と渡り合うようになり、小規模な隙間産業の企業はインターネット上で、見る目のある顧客のいる市場を見つけることがほとんど保証されています。
また、Webは新しい雇用機会も創り出しています。多くの企業で、Web設計者が広報やマーケティング部門で重要な役割をになうようになっており、多くのソフトウェア開発者はWeb関連のプロジェクトに携わっています。これは数年前には考えられないことでした。
情報をさまざまな形でインターネット上に配布するという、Webのもともとの機能は今でも存続しており、Webの登場以前のインターネットを知っている人には、考えもつかないほど拡大しました。Webはヴァネヴァー・ブッシュ教授の Memex
のコンセプトに近づいており、コンピユータとモデムと、プロバイダヘのアクセス権がある人なら誰でもドキュメント間の行き来が可能になってきているのです。
W3C は、Web技術の標準化と推進を目的とした、会員制の国際的な非営利産業コンソーシアムです。現在、MIT
(米国マサチューセッツ工科大学)、ERCIM
(欧州情報処理数学研究コンソーシアム)、および日本の慶応大学の3者がホスト組織として共同運営を行っています。
W3Cでは、技術仕様の勧告 (Recommendation
) としての策定のほか、Webに関する情報の提供、技術開発の促進、新技術のプロトタイプ実装などに取り組み、そのすべてのドキュメントは公式サイト上にて無償で公開され、Web制作者たちのバイブル的な存在として広く利用されています。
W3Cでは、ワーキンググループ (WG
) が具体的な技術仕様やガイドラインの策定を行っています。主に、W3C会員組織から参加する技術者と W3Cの専任スタッフから構成されています。
ワーキンググループが作成した技術仕様やガイドラインは、会員組織と一般からのレビューに基づいて改善されます。その後、Webの発案者であり、W3Cの技術統括責任者であるティム・バーナース=リー氏の決定により、正式な W3C勧告となって発表されます。
W3Cのワーキンググループは、以下の4つのドメイン (W3Cでは、部署をドメインと呼ぶ) に所属し、様々なトピックを取り扱っています。
XML/ XML Schema/ XSL/ XSLT/ XPath/ XML Query/ XML Base/ XLink/ XPointer/ SOAP/ WSDL/ DOM/ URI/ IRI
などの策定を行うHTML/ XHTML/ XForms/ CSS/ WebCGM / PNG/ SVG/ Timed Text/ MathML/ VoiceXML/ CCPP/ Multimodal Interaction
などを研究開発しているPatent Policy/ Semantic Web/ RDF / Web Ontology/ Privacy(P3P)/ XML Key Manegement/ XML Signature/ XML Encryption
などを取り扱っているWCAG、UAAG、ATAG
)、 評価及び修正ツールの評価と開発、 普及、啓蒙活動 などを取り扱っているまた、ドメイン解析的なワーキンググループとして、W3C技術の品質保証を確保する Quality Assuarance(QAWG)
があります。
W3C公式サイト http://www.w3.org/