インターネットへの関心は近年爆発的に増大しています。実はインターネットの原型は1960年代にあったのですが、インターネットが一般に受け入れるためには、当時はまだ、さまざまな要因が欠けていました。
The RAND Corporation
の提唱した戦略が議会で支持を得たのが、中央の制御ポイントを持たず、ネットワークの一部が遮断されても障害を起こさないネットワークを構築しようというものです。個々の部分が遮断されても耐え得るパケット交換網をパウル・バラン (Paul Baran
) が1962年に提唱して以来、同社ではこのアイデアを検討していました。このアイデアは、ネットワーク上のあるポイントから送られたメッセージが、遮断された部分を迂回しながら、自分で目的地へのルートを探すというものでした。ARPA(Advanced Research Projects Agency)
がこのアイデアに賛同し、ARPANET
と呼ばれるネットワークが作られました。インターネットの最初のメッセージは1969年9月に、カリフォルニア大学から、ARPANET
に接続されたすべての地点に送られました。メッセージの内容は 「Are you receiving this?
(このメッセージを受信していますか?)」 というもので、当時のインターネットを構成する4つのノード (ネットワークに接続されている端末やネットワーク機器のこと) すべてで、正常に受信されました。ARPANET
のもつ機能の利点を認識するようになりました。ARPANET
では情報を容易に他の研究者に即座に配布することができ、こうした情報が個々の研究分野での最新の進歩を反映していることも多かったのです。ARPANET
上で答えを知っていそうな研究者に訊ねることができます。こうした研究者にとっての利点のため、このネットワークには次々に新しいノードが作られ、このことが、ひいてはネットワーク全体の安定性を向上させました。というのはノードがたくさんあれば、それだけメッセージが目的地に到達するために通ることのできる経路も多くなるからです。TCP (Transmission Control Protocol)
ができました。これが後に、現在のインターネットと Webのバックボーンとなった TCP/IP
の基礎を作りました。ARPANET
が2つに分裂し、ネットワーク上にあった純粋に軍事的ノードが分かれて MlLNET
となりました。1984年には、インターネットと呼ばれるようになっていた ARPANET
に、1000を超えるノードが接続ざれるようになりました。NSF
(全米科学財団) は、高価なスーパーコンピュータ資源を国内各所に分散させる上で、インターネットの既存の設備基盤が最適であることを認識しました。これは、全米のあらゆる場所のスーパーコンピュータのアイドル時間に、研究者たちをアクセスさせようという考えです。NSF
は他の政府機関の援助を得て、56kbpsの高速バックポーンネットワークで接続された5つのスーパーコンピユータ・センタ一を1986年に米国内に構築しました。この NSFNET
の誕生により、インターネットの最初の急成長が起こったのです。NSFNET
の目的は学術研究機関間での研究と教育を支援することでしたので、NSFNET
を利益活動のための使用を禁じ、個人事業のための使用を制限した、NSF
の Acceptable Use Policy
が打ち出されました。NSFNET
はインターネットの大部分にとって実質的なバックボーンとなっていたため、インターネット上での商業活動の成長は事実上ストップしました。E-Mail
や telnet
、さらに同じころに開発されていた Usenet
の価値を認識するようになっていました。何年間かのうちに、小さな電子掲示板 (BBS
) が北米のいたるところに登場しており、その多くは独自のネットワークで接続され、ローカルなネットワーク間でEメールのやりとりを行うものでした。こうした BBS
の人気は、一般のコンピュータ利用者がインターネットに参加するようになるのも時間の問題であるということを物語っていました。WELL(Whole Earth’Lectronic Link)
のメンバーがインターネットに加入したことにより、学術界と一般のコンピュータ利用者との間の最初の大規模な橋渡しが行われました。翌年にはオハイオ川クリーブランドで最初のフリーネットが設立ざれ、コンピュータとモデムをもつ地元住民がインターネットに接続できるようになりました。World Wide Web
の登場によるところが大きいのです。