Tips HTMLの歴史

ご存知のように HTMLは、1990年代初期に CERN(欧州原子力研究機関)に勤めていた ティム・バーナース・リー(Tim Berners-Lee)氏の手によって作成されたマークアップ言語であることは、広く知られています。

ここでは、バーナース・リー氏が行った HTMLの最終作業以前のハイパーテキストに関連した2つのトピックスを紹介します。特に今日のハイパーテキストの原型を模索した、テッド・ネルソン (Ted Nelson)、ビル・アトキンソン (Bill Atkinson) 両氏の功績に敬意を表します。

あわせて、HTMLの誕生から今日の HTML4.01 までの内容についても触れました。

Xanadu
1960年代初期、大学で社会学の修士課程を学ぶテッド・ネルソン氏は、当時の巨大で高価なメインフレーム・システムを利用して、単なる数値演算以外でのコンピュータの利用の理論を研究していました。
1965年、ネルソン氏は、ACM (Association for Computing Machinery) に提出された論文で、初めて「ハイパーテキスト HyperText」という言葉を使いました。
彼が描いたハイパーテキストには、リンクされたイメージや動画、詳細なマップ、そして任意のコンピュータ上のリソースにリンクするための形式が含まれていました。
ネルソン氏は後に、この考え方を Samuel Taylor Coleridge作の小説に登場する架空都市にちなんで、Xanadu (キサナドゥ) と名付けました。
しかし、ハイパーテキストという言葉が始めて登場して35年以上経過した今でも、Xanaduは、まだ人々の目に触れることはありません。まさに、1人の作家が描いた夢の都市そのものの存在であり、幻想だったのかもしれません。
HyperCard
1987年、Macintoshコンピュータで知られる Apple社は、ビル・アトキンソン氏の手によって作られたソフトウェア、HyperCard を発表しました。
当時の最新機種である Macintosh SE20 がリリースされたときにバンドルされ、このソフトウェアを利用した人もいることでしょう。
HyperCardは、グラフィカルなユーザ・インターフェイスを使って、コンピュータ画面上にカード形式の仮想スタックを作成し、テキスト、グラフィックス、操作、ボタンなどを配置し、他のカードにリンクするという画期的なものでした。
ただし、テキスト内にハイパーリンクを作成する機能がなく、リンクはあくまでボタンで行わなければなりませんでした。、また、1つのカードの大きさが1種類に限定され、当時はモノクロのみであることにも不満がありました。
その後改良が加えられ、カラー表示、複数のカードサイズの利用、スクリプトの記述ができるようになりました。
HyperCardの最終的な限界は、スタンドアロン型であるということにほかなりません。つまり、他のコンピュータから接続して利用するような共有リソースとしての機能が備わっていなかったのです。
しかし、非線形型的な方法で広範囲にわたるリソースの集まりを組み合わせたり、他のカードのリンクするハイパーテキストの能力は、ネルソン氏の考え方である Xanadu とともに、それらは共に Webにとって大きな基礎を築いたことは、賞賛されるべき偉業であると考えます。
World Wide Web
バーナース・リー氏が CERN で「研究論文をどのようなプラットフォームでも閲覧可能にできないか」という問題を解説するために、巨大な共有データベースの計画を立案し、データベースの利用にハイパーテキストを使用する試みが行われました。データ間の関係にハイパーリンクによって作成され、彼はこのような概念を 「World Wide Web」 と名付けました。
1989年、CERN より、WEBに関する作業の開始指示を受け、彼がこのときに解決しなければならない問題は以下のようなものでした。
ティム・バーナース・リー氏は、このような問題のすべてを解決する究極の方法が、分散ハイパーテキスト・システムの導入であると考え、クライアントとデーターベースを置くサーバ用のソフトウェアを開発しました。
クライアントがサーバにアクセスする方法に、HTTP (Hypertext Transfer Protocol) を生み出し、そのプロトコルに適した Web上の汎用言語として HTML が作成されました。
サーバはクライアントがどこにいてもアクセス可能にするため、公共のネットワーク・システムに組み込まれ、これが真の意味での World Wide Web に成長したことは、その後の歴史が証明することでしょう。
なお、バーナース・リー氏はその後、インターネットにおける様々な仕様の標準化を制定する機関である W3C の初代会長に就任しました。
HTML 略歴
ソフトウェアや OS にバージョンがあるように、HTMLにもその歴史とともにバージョンがあります。これは、その都度改良や新しい仕様が加えられています。
同時に、HTMLDTD (文書型定義) は、機能強化に対するユーザと制作者の両者からの要求に対応することで、拡張され改善されています。
HTML 0
初期の HTML1.0 は、CRENのサーバ上で開発された HTMLのオリジナルプロトコルを指します。この HTMLは一般に公開されなかったため、HTML1.0のレベルで実際に機能するツールを探し出すのはほぼ不可能なほど困難です。
HTML 1.0
HTML1.0 は初めて一般に公開されたマークアップ言語であり、見出し、段落などの文書構造のための基本要素だけでなく、他の文書や視覚要素をリンクする機能も提供されました。
現在でも Lynx の初期バージョンなど幾つかの Webブラウザは、HTML1.0 にのみ対応しているものもあります。
HTML 2.0
HTML2.0 から、初めて文書型定義の宣言を記述するように求められたバージョンです。
HTML1.0 のすべての要素に加え、新たに整形処理のための幾つかのタグは加えられました。また、ユーザからの入力要求を示すフォームの作成要素が提供されています。
従来のバージョンよりの長期間にわたって標準とされたバージョンでもありました。
HTML 3.2
このバージョンでは、表組の対応のほかに、より整形処理用のタグ、コンテンツ表示を綿密に制御するための広範囲にわたる属性が提供されました。
この HTML3.2 では、フォントや背景などのページ上のあらゆるものに色をつけるなどができるようになりました。また、embed要素applet要素によってサウンド、ビデオ、Javaアプレットなどの HTTP を利用しないオブジェクトさえも Webページで利用できるようになりました。
しかし、本来 HTML とは、整形処理をするためのものではなく、論理的な構造を記述するマークアップ言語であるという SGML の精神から大きく軌道を逸したことに W3C内でも疑問視され、このバージョンが発表されてすぐに、HTML4.0の草案が発表されました。
しかし、残念ながら既に整形処理タグや属性は、ほぼ標準化しており、圧倒的多数の Webサイトで採用されている現実を考えると、HTML3.2 は、偉大なる失敗作、つまり W3C が初めて手がけた HTML3.2バージョンの功罪は、あまりにも多過ぎるといえるのではないでしょうか。
なお、HTML3.0 は、草案だけで正式勧告されず廃棄されました。
HTML 4.0
HTML3.2までのプレゼンテーション (表現のための整形処理) 用のタグや属性を「非推奨扱い」として再定義し、本来の SGML の原則に回帰する画期的なバージョンです。
整形処理は スタイルシート を利用し、文書をより構造のみを記述するように求めています。
HTML 4.01
HTML4.0をさらに アクセシビリティ を高め、より広範囲な人々の容易なアクセス性を目的に仕上げられています。
そういった機能を達成するためのタグや属性が追加され、制作者にアクセシビリティの重要性を強く求めています。
このバージョンで、HTML の最後ではないかとも言われています。現在のところ、HTML の新たな草案は何も掲げられておらず、XHTML に移行するのではないかとも想像されています。


This Page is HTML4.01 Valid! 初版公開日 2003年7月30日   最新更新日 2004年3月13日
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